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1 2007年 03月 28日
![]() ミュンヘンのHaus der Kunstにて開催中のアンドレアス・グルスキー(1955 - )展を見た。グルスキーはベッヒァー夫妻の弟子のひとり。展覧会のレビュー 現代美術を所蔵する美術館では必ずと言っていいほど常設されているあの巨大な作品には、いつ見ても圧倒される。私にとっての今回の目玉は北朝鮮で撮影した最新の作品。チアリーダーもどきなど無数の人々が織りなす色とりどりの模様には、美しさというよりも底知れぬ驚異を感じた。 初めて見たF1をテーマとした作品も非常に印象に残った。F1ファンから暗殺される覚悟で告白すると、F1というと私には「ただただ、えんえんと続く騒音」というイメージしかない。だがF1ピットをふたつ並べた彼の作品に漂う静寂と物語性には、教会での礼拝のような聖なるものを感じた。 ****** ミュンヘンでは、以前から行ってみたかったSammlung Goetzにも初めて寄った。 ここは事前予約が必要なので、前日に電話してみたところ「新しい展覧会の準備中のため閉館してる」とのこと。しょうがないな・・・と思って引き下がろうとしたら、なぜか「何日間ミュンヘンに滞在するんですか?えっ1日だけ?ちょっと待って。」と言われたので、期待せずに待っていたら「明日3時に来てください。」との返事。ドイツでこんなことがあっていいのか???とすぐには信じられなかったけど、来いと言うので行ってみた。 一般の美術館のように、入り口があって切符売り場があってというわけではなくて、事務所スペースの重たいガラス窓を満身の力を込めて開けて中に入った。昨日電話した者だと名乗ると、勝手に見てちょうだいって感じで上を指さされたので上の展示スペースに行った。天井近くから自然光の入る気持ちいい造り。3部屋の展示を見たら他にやることがなくなったので、下に降りて帰ろうとしたら、今度は下を指さされた。なんだ、まだあったのかとほっとして地下に降りたら、展示スペースがあった!しかも上よりも広い。 何人かいるスタッフの誰かが監視役としてまとわりつくのかと思ったが、最初から最後まで放牧状態。こんなんでいいのか・・・と半信半疑ながらも、貸し切り状態でPaulina Olowska (1976 - )と Lucy McKenzie(1977 - )の合同展をゆっくりと見た。 ヘルツォーク&ド・ムーロンによる建物は1993年に完成。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by rbhh
| 2007-03-28 07:45
| 美術
2007年 03月 21日
![]() 昨年10月に地元の映画祭で1回だけ上映されたのだが、ドイツでも一般公開されることがわかっていたので、映画祭ではあえて観ないでかれこれ5ヵ月間ひたすら我慢大会だった(涙)。 期待通り素晴らしかった! 舞台は北米。都会育ちのお嫁さんが、夫の実家がある田舎を初めて訪れる。夫も実家を訪れるのは3年ぶり(だった?)らしい。 夫の家族=田舎の人。対するお嫁さん=都会の人という図式の中に漂う、ぎこちなさ、思いやり、寛容、すれ違いなどが静かに描かれる。同じく嫁の立場にある妊娠中のアシュレイ(演じるエイミー・アダムスがそれはそれはキュート!)のイノセントな存在がなんと言っても際立っていて、映画全体を引き締め、ぐんぐん引っ張って行く。 いわゆる空ショットが多用されているので(どれもが美しい!)、小津安二郎の影響を強く感じたのは思い過ごしか?また都会育ちのお嫁さんが日本で生まれたという設定になっていて、ひょっとして監督は日本への思い入れでもあるのか?と勘ぐってしまう。 夫の実家のある田舎で制作している画家の作品と、画家自身がかなりユニーク。そして弁護士をやってるらしい、画家の姉か妹も、ふやけた焼き芋のような雰囲気がなんとも不思議な味わいだった。作品のアップがスクリーンに登場するたびに、尊敬する北野武の『HANA-BI』を思い出した。この映画では、北野監督自身が描いた作品がところどころで登場して印象深いのだ。 昨年観た『Little Miss Sunshine』同様、家族がテーマとなっている映画なので、ついこのふたつを比較してしまった・・。『Little Miss Sunshine』は、子役のオリーヴが本当に愛らしくて、ホロリとする場面がいくつもある、笑いと涙ありの映画で良かったのだが、どうしたわけか、いかにも作り物という偽物感が拭いきれず、心の底から好きになれる作品ではなかった。(映画はすべて作り物だよって言われたらそれまでなんだけど・・・。) だがこの『Junebug』は、私がこの世でいちばん憎んでいる偽善を感じさせない、信頼できる本質を持ち備えていた。なぜ?と聞かれても言葉ではうまく説明できない・・・。たんなる直感です。 Yo La Tengoによる音楽も、さりげなくて素晴らしかった。 ![]() ▲
by rbhh
| 2007-03-21 07:09
| 映画
2007年 03月 20日
![]() * 日野啓三もただの男だったのか。 * あんなに女友達のことばかり書いていたら、奥様が嫉妬のあまり、食事にこっそり毒を盛るのではないか。 それ以来この本は私の中で「日野啓三から写真家の女友達への恋文」という位置付けになってしまって読む気がしなかったのだが、なぜか昨晩は床に就く前にこの本が目に止まり、読んでみる気になった。 最後の短編『神の小さな庭で』だけ読んでみたところ、マグニチュード100を超えるぐらいの衝撃を受け、声を上げて泣いてしまった。最初に読んだときは「女友達」の文字しか目に入らず、何も理解していなかった自分が恥ずかしくてたまらない・・・。 2000年1月1日にクモ膜下出血で入院した日野啓三は、退院後リハビリで家の近くの公園で歩行練習を行う。よちよちと歩いている彼と、同じくよちよち歩きの2歳か3歳くらいの幼児たちがお互いの存在を認め手を振り合う。しばらくしてから彼は、幼児のひとりから小さな木の実を渡される。ふたりの心が通いあったそのときの描写が、しばらく立ち直れないくらい強く心を打ったので書き写しておく。 ****** 「意味や目的はあいまいでも、何か温かいものがふたりの間に流れ伝わったことにふたりとも満足したことを感じ合ったとき、私は穏やかに深く感動し、「天国はこのような者の国である」という福音書の中の言葉を、しっかりと過不足なく理解したと信じた。意味や理由や目的は不可解ないしあいまいでも、掛け値なしに本気の何事かがスッと通じ合うとき、ふたりはまさに天国にいるのだ。そして多分、人間という生き物は説明も強制も一切なしに、共感し納得し合うことが時に可能で、人間とはそういう生物なのだ、と日頃「天国」にも「神の国」にも特別の興味も持たない私が、そうした言葉で人間が実に長い間、何を願い、何をめざそうとしてきたのか、スッとわかった、という気がしたのだ。それというのも、私がこれらの幼児たちと同じ生物だということを、不意に完全に理解し直観したからだったろう。」 そして、あとがきの最後の文章。 「私たちは男も女も人間も動物も、実は同じ神の庭で生かされているのだ。必ずしもキリスト教の神ではなくとも。」 (日野啓三著『落葉 神の小さな庭で』集英社より) ****** ![]() 場所はガソリンスタンド。止まっている車の中のヒラリー・スワンク演じる女性ボクサーと、トラックの中にいる見知らぬ少女(監督の娘が演じているそうだ。)が互いに手を振り合う。 あれを観た途端に、今だかつてないくらい大粒の涙が滝のごとくドボドボと流れ落ちた。映画を観て泣くことなんて普段ないにもかかわらずだ。片手で数えられる程度の観客がいたので、漏れそうになる嗚咽を抑えなくてはならず大変だった。あのおそらく1分にも満たない場面に、すっかり打ちのめされてしまった・・・。 そんなことも思い出したので、一晩中布団の中で泣き続けてしまいそうだったが、翌日睡眠不足で仕事ができないと困るので寝た。 追:}今朝鏡を見たら、軽いお岩さんだった。 ▲
by rbhh
| 2007-03-20 06:40
| 読書
2007年 03月 17日
![]() 1曲目:György Ligeti "Lontano" für großes Orchester(ロンターノ) 出だしのフルートでいきなり息が止まりそうだった。フルーティスト冥利につきるだろうな、あれは。MPさまはやっぱりかっこいいし音が良いので好き。BBはこの曲は耐えられなかったそうだが、私はすっかり曲の世界に浸り切って内なる宇宙をずっと感じていたと伝えると、rbはこういうの好きなんだろうな・・と思いながら聴いていたと笑われた。ぜんぜん聴いたことないので、リゲティの他の曲も是非とも聴いてみたくなった。 2曲目:Felix Mendelssohn Bartholdy Violinkonzert e-moll op. 64 バイオリンはVadim Repin ワディム・レーピン。 私はこの人ぜんぜん知らなかったけど、Dちゃんによるとシベリア生まれのかつての神童だそう。全身の力を抜いて演奏してるように見えたと感想を述べたら、それじゃあ弾けないの!と笑われてしまった。久しぶりに聴いたこの曲、やっぱり良かった。 3曲目:Gustav Mahler Sinfonie Nr. 1 D-dur 昨年今シーズンのプログラムが発表されて以来、とても楽しみにしていた曲。1楽章の途中で、隠れていたトランペットのふたりが舞台に出てきた。4楽章の最後に突然立ち上がったホルン6人衆がとにかくかっこ良かった〜。BBによると、立ち上がるようにと楽譜で指示されているらしい。あまりの素晴らしさに、終わらないでほしい・・一生聴き続けたい・・と途中から真剣に思った。終わった瞬間は鼻血が吹き出てるんじゃないかと心配になったくらい、高揚感で全身はち切れそうだった。先月ギーレン指揮でNDRのマーラー交響曲4番を聴いたときは空席がちらほらあったけど、今回はほぼ満席。スタンディングオベーションで、ホールじゅうをブラボーがこだましてた。今シーズン最初にドホナニ指揮でブル5を聴いたときも同じだったことを思い出した。 この演奏会は4月23日にラジオNDR Kulturで放送されるので、時間があれば絶対に聴く。 4月から日本で働き始めるDちゃんとNDRの演奏会に行くのはこれが最初で最後だと思ったらしんみりした気持ちになると告白したら、半年ごとくらいにドイツに来る予定なのでしんみりする必要はないと言われ、それもそうだと思った。 帰りに乗ったタクシーの運転手さんが、ちょっとマイケル・ムーア似の、信じられないくらい素晴らしい人だった。 ▲
by rbhh
| 2007-03-17 07:38
| 音楽
2007年 03月 15日
今年になってから観た映画のうち3本に出演していたケイト・ブランシェット。
同性の目から見ても、あの知的な美しさには目眩がするほどだ。 観たのは次の3本です。 ![]() ご存知、21グラムの監督の新作。菊池凛子は初めて見たが、あの強い意志を秘めたまなざしがとっても印象深かった。文字通りの熱演。舞台がモロッコ、アメリカ、日本にまたがるので、見ていて「グローバリゼーション」という言葉が頭の中をこだましていた。スケールは大きいけど、なぜか、見かけ倒し、胡散臭いという印象が強く残ったのはなぜ・・・? ![]() ジュディ・デンチが、ケイト・ブランシェットの同僚かつ友人となる、不気味な女教師を演じていた。彼女がスクリーンに登場するとなぜか「電池さん」という文字がデカデカと頭の中に現れる・・。最初のほうとラストに出てくる、ある共通したシーンにものすごく違和感を感じた。できることなら監督に、あのふたつはカットしてくださいと直訴したいくらいだ。なんであんなにも違和感を感じたのだろう・・。底知れぬ狂気を感じる映画だった。 ![]() ソダーバーグの新作。舞台は戦後のベルリン!モノクロ映画でのケイト・ブランシェットの美しさに息を呑んだ。同じくモノクロで、場所はウィーンだが、戦後という設定が共通する名作『第三の男』をさかんに思い出した。途中ケイト・ブランシェットがドイツ語を話しているシーンがあったのだが、映画全体がドイツ語吹替えだったので、ドイツ語の部分も声優の声だったのがくやしかったーーー。彼女が話すドイツ語を聞いてみたかった! ▲
by rbhh
| 2007-03-15 05:59
| 映画
2007年 03月 11日
![]() 2002年に日本に行ったとき、たまたま再結成してツアーをやっていたので、 東京国際フォーラムでのコンサートに行きました。 初めて行ったホールでした。よそよそしい雰囲気のホールだったし、客の年齢層が高いせいか全体としてのノリが悪く感じられたのは少し残念でした。私はライブに行くと知らないうちに立ち上がってしまうのですが、あの時は立って聴いてる人、少なくとも私のまわりには皆無でした。今考えると、私の後ろに座ってた人たち、私が立ってたしまったせいでステージが見えなくて「チッ」て思っていたかもしれません。 コンサートの翌朝起きると妙なことがありました。左の手のひらが黒ずんでいてズキズキと痛いのです。 一夜にして悪性腫瘍が出来てしまった・・、これは不治の病に違いない・・と死を覚悟しました。 数日後に落ち着いて考えてみたら、コンサートの間じゅう手拍子を取り続けていたので内出血したような気がしてきました。そんなことたったの一度も経験したことなかったのですが、だんだん痛みが減ってきたし、少しずつ肌色が戻っていたからです。 でも手拍子で内出血なんてあり得るんでしょうか?信じられないことです。そんなに夢中になって手を叩いていたなんて・・・。 The inCOMPLETE TULIP ▲
by rbhh
| 2007-03-11 15:01
| 音楽
2007年 03月 07日
2005年11月9日から13日まで私はインド西部ラジャスターン州のプシュカルPushkarという村にいた。毎年11月の満月の日を最終日として1週間開催されるらくだ祭りを見るためだ。
会場となる砂漠ではらくだの競売が行なわれ、訪れるらくだ商人や観光客、またプシュカルはヒンズー教の聖地でもあるので村は巡礼者であふれる。砂漠周辺には屋台がたくさん出ており、食べ物から装飾品、らくだが付けるアクセサリー(色とりどりでかわいい!)などさまざまな物が売られていた。 夕暮れ時にそんな店をぶらぶら見ていたら、好きな色である水色のゴム草履(死語?)が売られていたので買った。ちなみにその前年にデンマークでも水色のビーチサンダル(現役語?)を見つけて購入したのだが、デンマークのそれは幅がインドの1.3倍はあった。 支払いを済ませ購入品(ゴム草履と呼ぶか、ビーチサンダルと呼ぶべきかわからなくなってきた・・・)を袋に入れてもらう段階になって、インド人商人が商品が並ぶ台の下でゴソゴソし始めたので、ヤバイ・・・ついでに何か売りつける魂胆か・・・と身構えた。その前に寄った茶店でチャイを飲んでいたら、マリファナをしつこく売りつけられそうになって辟易していたのだ。 不要な物を買えと迫られたら何と断ろうか・・など必死で考えていたら、おじさんはボールペンと歯ブラシを差し出して一緒に袋に入れてくれた。たんに前述の購入品へのおまけだったのだ。インド人イコール悪徳商人という偏見の固まりの自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、その場で土下座して謝りたい気分だった。。。 異常に長いが、ここまでは単なる前置き。 その時もらったボールペンはときどき使っていたのだが、歯ブラシのことはすっかり忘れていて、つい最近になってようやく使ってみて激しいショックを受けた。 インドの歯ブラシの寿命ってあんなにも短いものなのか?極端な短命としか言いようがない。わずか1週間使っただけで、なんとブラシの部分が無残にも直下型地震でぐしゃりと押しつぶされたかのような状態になってしまったのだ。 そこで考えた。 私の使い方が悪過ぎるのか、あるいは歯ブラシの品質が悪過ぎるのかと。 普段使っているドイツの歯ブラシは、数えてるわけじゃないけど、数週間は使ってから取り替える気がする。直下型地震の被害に遭ったことはたったの一度もない。ごく普通にブラッシングしており、マシンガンのような激しい磨き方をしているつもりはまったくない。 ・・・とすると、やはりインドの歯ブラシの品質は劣悪ということになるのか? でも寿命がたった1週間なんて短かすぎないか?インド人は毎週のように新しい歯ブラシを買いに走るのか、あるいは家じゅう買い置きの歯ブラシであふれているのだろうか? 人口は11億人を超え、毎年1000万~1500万人の勢いで増加しているというインドにおける歯ブラシの消費量を考えると気が遠くなる・・・。 ただ、私が使った歯ブラシは無料のおまけなので、ローコスト生産で品質が極悪だった可能性がある。・・・というわけで、今度インドに行くことがあったら、絶対に歯ブラシを複数購入して品質検査を行なうつもりでいる。 ![]() ![]() ![]() ▲
by rbhh
| 2007-03-07 04:47
| たわごと
2007年 03月 03日
![]() 我が家では最低の受信料を払っているだけで、映画専門の有料放送などは受信していないにもかかわらずだ。 ここ数カ月のうちに映画好きの人と話していて話題になったり、自分でふと観たいなと思ったら、その日のうちや翌日などにテレビで放送された映画を思いつくままに挙げてみる:『Diva』、『City of God』、『JFK』、『Pay It Forward』、『The Game』、『Mission: Impossible II 』以下省略。 常々、不思議な現象だと思っていたのだが、最近ある考えに行きついた。ものすごい発見をしたものだと我ながら感心してしまうくらいだ。 この世にはテレビの神様、あるいはより厳密に言うなら「視聴率の神様」が存在していて、ある映画の放送日が近づくと、視聴率を上げるためにその映画が人々の頭の中に思い浮かぶように意識操作しているのではないか? 意識操作された人は、その後新聞のテレビ欄やテレビガイドなどを見ると、頭の中に思い浮かんだばかりの映画が放送されることに気づき、どうせだから観てみようか・・・という気になるという仕組み。 他の人も私同様の体験をしているのかがずっと疑問だったので、数人に聞き取り調査したことがあるが、残念ながら私同様の体験をしたことがある人にはまだ会ったことがない。 でもこれにもちゃんと答えが用意してある。 現代社会を生き抜く視聴率の神様としては、とにかく効率的に視聴率を上げることが究極の使命なので、できるだけ無駄な労力を使わずに意識操作できる人間をターゲットにする。あーだこーだとうじうじ考えたり、なかなか決断しない人間はハナから対象外。ズバリ、単細胞な人間が狙い撃ちされる。 よって私のように超が付くくらい単細胞な人間は、わずかな意識操作をしただけですぐに観てしまうので、確実に視聴率アップにつながるわけだ。 視聴率の神様恐るべしだ。 ![]() ▲
by rbhh
| 2007-03-03 13:50
| たわごと
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