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2005年 10月 21日
私は日本で就職した経験がない。
だから日本のビジネス界での常識が欠落しているのではないかと思うことがしばしばある。ドイツで就職してからあわてて、日本の「ビジネス基本マナー本」でひととおり勉強したつもりではあるが、なかなか身にはつかない。 会議の際の上座と下座の違いを覚えたつもりだったけど、大事な取引先の人を会議室のドアのすぐ脇に下座に座らせ、自分は窓を背にして座ってしまったこともある。 とりあえず壁がうしろにある席が上座らしいから、ふたりだけならとにかく相手が誰であれ壁側の席に座ってもらうようにしている。ただ相手が複数だともうお手上げ。。。頭の中にマナー本にあった席の見取り図が現れはするんだけど、誰をどこに座らせるか判断に苦しむ。。。あれを瞬時にさばける日本のビジネスパーソンは人間コンピュータとしか言いようがない。 しばらく前に会社の行事でサッカー観戦に行った。 通路側を含めて3つの席だったのだが、私は一番に名乗り出て「奥に行きまーす。」宣言してさっさと座った。同行者たちは私より目上かつ年上。なぜ奥に入ったかというと、通路側の席ってのは私にとっての特等席だから遠慮して奥に入ったのだ。 私はいつトイレに行きたくなるか不安なので、飛行機でも映画館でもほとんど通路側に座る。(ただしガラガラの映画館は例外。)奥に座って私がトイレに行くときに、まわりの人に迷惑かけるのがいやなのだ。 ただ試合が終わってうちに帰ってから考えてみたのだが、通路側ってのは脇を頻繁に人が通る、つまり落ち着かないからひょっとして下座だったのでは・・・という気がしてきた。済んだことは後悔しないので気には病んではいないが、あの時の私の行動は非常識極まりなかったのかもしれない・・・。 なんか怖くて、まだマナー本で横一列の正しい並び方を確認していないのだ。。。 #
by rbhh
| 2005-10-21 05:13
| たわごと
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Comments(8)
2005年 10月 19日
旧西ドイツの首都ボンに行くと必ず寄るのがボン美術館。ドイツにある美術館のなかではお気に入りのひとつ。本当に素晴らしい美術館なのだ。
4年前まではそんなものがあることすら知らなかったのだが、初めてボンに行ったときに、美術館があることに気づいて行ってみた。最寄りの地下鉄の駅から地上に出た途端に目の前に現れた巨大な建物に圧倒されてしまい、しばらく立ち尽くしてしまった。それくらいインパクトが強かった。アクセル・シュルテスAxel Schultes設計で、彼はベルリンにある首相官邸も設計している。 建物のみならず収集が素晴らしい! アウグスト・マッケAugust Macke(1887-1914)が好きな人は絶対に避けて通れない場所。マッケはかつてボン市民だったせいか、とにかくコレクションが充実しているので、私はボン美術館に行くとまずマッケの部屋に行く。マッケが第一次世界大戦で戦死したのは27歳のとき。早過ぎる死であった。ボンに住んでいたマッケはマックス・エルンストとは友人関係にあったらしい。 マッケの部屋の後は、ドイツ現代美術にゆっくり浸る。思い付くままにここで見られる作家を挙げてゆくと。。。 アンゼルム・キーファー Anselm Kiefer(1945-) ゲオルク・バゼリッツ Georg Baselitz(1938-) ゲアハルト・リヒター Gerhard Richter(1932-) ジグマー・ポルケ Sigmar Polcke(1941-) レベッカ・ホーン Rebecca Horn(1944-) 以下省略。 広々とした空間で彼等の作品をゆっくり見ていると、ずっとここにいたい・・・と思ってしまう。とにかくドイツ現代美術に関心のある人は絶対に行くべき美術館であると断言。 この美術館の特にいいところはぜんぜん混んでないこと。平日はもちろんのこと、休日や週末にも行ったことあるが、あんまり人がいなかった。パリとかニューヨークなど大都市の有名な美術館はとにかく人が多いので、あんまり作品をじっくり見る雰囲気じゃないけど、ボンは元首都とはいえ田舎だし、わざわざ美術館に寄る、もの好きな観光客も少ないのだろう。 ボンにはかつてマッケが結婚後に住んでいた家があって、そこは現在小さな美術館になっている。彼がアトリエとして使っていた部屋に足を踏み入れたときは、言葉が出ないくらいの感動だった。 #
by rbhh
| 2005-10-19 05:42
| 美術
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Comments(5)
2005年 10月 17日
ときどきドイツ語から日本語に文章を訳していて思うこと。
私は個人的には、日本語を書くときにカタカナ語を頻繁に使うのは好きではなくて、できれば昔から使われている言葉を漢字で表記したいと思っている。でも思っているだけで、それは現実離れしてるんだよね〜、というハナシ。 純文学ならいいだろうが、私が翻訳するのは観光案内的な文章なので、漢字が多いとコチコチに固い文章になってしまって、あまり現代人の心に訴えて来ない気がする。 というわけで思いつくままにいくつか挙げてみると・・・ 休暇 = バケーション 静養地 = リゾート 遊園地 = アミューズメントパーク 移動 = アクセス 催し = イベント 生中継 = ライブ 食通 = グルメ 文化 = カルチャー 農場 = ファーム 静養地という言葉は考えてみれば、皇室の人々が東京を離れて夏を過ごすときに「ご静養地」に行くんだったな、たしか。平民は使わないのかもしれない。 たとえば「アクセスが良好」なんて訳してみるけれど、本来の日本語では「楽に移動できる」ということ。果たして年配の日本人が前者を読んで理解できるのであろうか? 言葉は変容を続けるものだから、ある程度の変容は私も受け入れたいとは思っている。・・・でも、カタカナ乱用はやっぱり好きになれない! #
by rbhh
| 2005-10-17 16:33
| たわごと
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Comments(4)
2005年 10月 14日
今日は私が敬愛してやまない日野啓三(1929-2002)の命日。亡くなってから早くも3年がたってしまった。今でもときどき日野啓三のことを思い出すと、救いようのない喪失感に襲われる。
新聞で書評を読んたのがきっかけで手に入れた『夢の島』。読んだ途端にすっかり日野啓三のとりこになってしまった。まるで自分の分身が書いたのではないかと思ったくらい。桐野夏生はかつて新聞に「日野啓三はもう一人の私である」と書いていた。それ以来、私は彼女が他人とは思えなくなった。 廃墟、向こう側、からっぽの風景など、日野啓三は常に現実とは離れた、目には見えない世界、日常のなかにある非日常を表現し続けた。 これは1993年にドイツで出版された『夢の島』のドイツ語訳『Trauminsel』。 映画館の帰りに通りがかった、閉店後の本屋のショーウィンドーに飾ってあった本になぜか目が行って、よくよく見るとKeizo Hinoと書かれていたので翌日出直してすぐに購入。忠実に訳されているけれど、原書ほどのインパクトはなかった・・・。 Tail-Lagoonさんも今日は日野啓三さんに思いを馳せているだろう。 TLさん作成日野啓三著作一覧表 TLさんの追悼文 #
by rbhh
| 2005-10-14 13:02
| 読書
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Comments(4)
2005年 10月 09日
先週、旧西ドイツの首都ボンに行った目的のひとつは、9月にオープンしたマックス・エルンスト美術館に行くことだった。半年くらい前にオープン準備中だという記事を読んで以来、とっても楽しみにしていたのだ。
マックス・エルンスト(1891-1976)といえば、シュルレアリスム。昔はどういうわけかマックス・エルンストの作品に近づき難いものを感じていたが、この世に存在するのは目に見えるものだけではない、というようなことを考えているうちに、彼の作品を楽しめるようになってきた気がする。 この作品を何年か前に見たとき、エルンストってかっこいい!って思ったのも、好きになるきっかけだったな…。前列左端の緑のスーツ姿がエルンスト。 美術館は彼の出身地であるボンの近郊の町ブリュールBrühlにある。ボンからは鉄道でほんの13分。エルンストは4回結婚していて、3人目の奥さんはペギー・グッゲンハイムだったと初めて知った。ペギー・グッゲンハイムといえば、ヴェネツィアの運河沿いにある美術館を思い出す。 今回見たなかで特に印象に残ったのが、4人目の奥さんドロテア・タニングに毎年プレゼントしていたという絵の数々。ドロテアのイニシャルDが必ず絵のどこかに入っている。あと初めて知ったのが、フロッタージュというものの表面に紙を当てて上から鉛筆などでこすり出す方法を生み出したのはエルンストだったそうだ。 地下の広いスペースでは大きな壁面を利用して、エルンストとドロテア夫人が出演の短編無声映画が上映されていた。あと、忘れられないのが、17歳のマックス・エルンスト少年が描いた作品。生真面目さ、絵に対する真摯な態度、すべてが凝縮されていてしばらくその小品の前から動けませんでした。 #
by rbhh
| 2005-10-09 04:52
| 美術
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Comments(2)
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